管理組合の理事たちが団地で見つけた良いことや興味のあることなど「よもやま話」を語ります。
興味がありましたら読んでください。
こんにちは、環境整備担当理事の谷口です。
今回は前回の予告内容を変更して『滝山団地のシンボル』についてお話し致します。
2街区・3街区の遊歩道にそれぞれ1台ずつ設置されているコンクリートオブジェの修復工事が12月16日に無事完了しました。このオブジェは団地に長くお住まいの方々に“バナナ塔”の愛称で親しまれており、弧を描いた2本の造形物が寄り添う姿は確かにバナナに見えますね。
でも本当はこのオブジェに正式な固有名称はありません。
なぜなら、団地が出来た時の施設名称には2街区が『モニュウマンⅡ』で3街区が『モニュマンⅠ』としか書かれていないからです。『モニュマン』とは『モニュメント(記念建造物)』のフランス語読みですから、固有名称ではありませんよね。
では誰が、いつ、このモニュメントを“バナナ塔”と呼び始めたのでしょうか?
残念ながら組合に残る資料には愛称がつけられた経緯が残っておりませんでした。
このモニュメントにはどこにも名称や記録が刻まれていないため、今までは誰が製作したものなのか分かっていませんでした。しかし、修復工事を行なうにあたり色々と調べていくうちに2街区のバナナ塔とそっくりなモニュメントが他にもあることが分かってきました。
次の写真をご覧ください。
いかがでしょうか?瓜二つでしょう?
これは千葉県市原市にある『卯の起(うのおこし)公園』に設置されているモニュメントです。
卯の起公園は滝山団地が出来た頃とほぼ同時期に、『公害防止事業団』が市原市に整備した緑地です。(「環境省・公害防止事業団の設立について」)
この公園は『はまぐりの碑』が有名ですが、園内にもう1つ建造されたものがこのモニュメントです。
この市原市のモニュメントは、1960年代から70年代にかけて屋外用のコンクリート製モニュメントを多く手掛けてきた『前田商事屋外美術研究所』が製作したものです。子供達にも人気のある、あの『タコの滑り台』を数多く製作してきた会社でもあります。(タコの山-Wikipedia)
この会社が製作したモニュメントは全国にありましたが、古いものは現存数も少なくなってきています。今でも残っているもののうち、googleストリートビューで確認できているものを何点かご紹介します。
この他にも東京都住宅供給公社・多摩川住宅にはたくさん設置されていたようなのですが、残念ながら現存数は僅かなようです。
滝山団地2街区のバナナ塔は前述の市原市のモニュメントと形や製作時期がほぼ同じであることから、この会社が製作したものと考えて間違いないでしょう。
また3街区のバナナ塔については、同じくこの会社が製作したモニュメントで日本住宅公団・大阪支社や東京都住宅供給公社・立川富士見町住宅などに設置されていたものに形がよく似ていたとの情報を得ていますが、どちらも現存していないために写真で比較することが出来ません。
このバナナ塔は『人研ぎ(=人造石研ぎ出し)』と呼ばれる工法を用いて作られています。工場において型枠にセメントを流し込んで作った原型の上にモルタルや『人造石』を塗り、表面をグラインダーなどで奇麗に研ぎ出す工法です。
『人造石』とは白セメント(酸化第二鉄や酸化マグネシウムの含有量が少ない白色化したセメント)に顔料と砕石を混ぜて天然の石に似せた模造石のことです。修復したバナナ塔の人造石には蛇紋岩(じゃもんがん)と言う火成岩の一種が混ぜられています。セメントに石が混ぜられていることにより、表面を研ぐ作業に手間と熟練した技術が必要になり、現在では人研ぎ職人は数少なくなりました。ですから、初めはこのバナナ塔を修復してくれる業者を探し出すことに苦労しました。
でもそれだけ手間をかけただけあって、修復した出来栄えは素晴らしいと思いませんか?
このような経緯で52年ぶりに全面修復されたバナナ塔は、まさに滝山団地のシンボルとして、私たちが胸を張って誇れるものだと思いませんか?ずっとこの場所に残ってほしいですね。
次回は『きれいに修復された登り滑り台』をお話しいたします。お楽しみに。
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